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2017.12.23
12月14日年の瀬ながら出張してました②
受付のお姉さんは割と親切で、飛行機は何時?これならシャトルバスは7時だから6時55分にここに集まって・・・とまで言ってくれた。
もう1本遅くても良いと思うのだが、まあ言われるとおりに6時起きで朝食を取った。
眠くはない・・・なぜならば時差ぼけだからだ。
起きなくても良い時間に目が覚めてしまう。
日本時間では活動してる時間だから。。。どうしようもないなあ。
ちなみにこのメニューは良く分からない。
ビュッフエ方式で美味しいという評判から定番メニューと安心してたが、どう見てもロシア式メニュー。
一応給仕の人に個々に質問したが、英語で質問してるのに返って来るのはロシア語。通じる訳が無い。
口コミでも英語を話す気が無いと書かれてたが、まさにこのことか。
空港までシャトルバスを使うが、やはり空港から1kmなんてことはない。20~30分程度は乗ってただろうか。
真っ暗な原野の中(何も見えなかったもので)、歩かないで良かった。
ここじゃタクシーも拾えなかった。
ここで目についたのがどう見ても支那人だよなあ。
アジア系の空港の清掃員。
この空港はアエロフロートが保守など管理してるのかな。
更にアエロフロートの発券やってたスタッフもどう見ても支那人顔。。。移民だな。
利用客で支那人を見るのは珍しくない。逆にアジア系で他の人種を見ない。
ただ日本のように団体客ではなく個人旅行が目立つところが少し違う、政治的な結びつきを垣間見る気がした。
中露という覇権国の結託?終わりの始まり?
時刻表上は2時間15分でした。緯度が下がるせいかやがて日差しが見え始め、うす暗かったモスクワと対照的。
東ヨーロッパの上空通過、ちなみにモスクワからは機材がエアバスA320、小型化されたせいか東京間のA330よりシートピッチも広くしかもシートはレカロ製。でもカチカチなのは変わらない。
空港からは地下鉄でセルディカ駅へ、そこからタクシーを拾う。
4回目のソフィア、目に入る景色も新鮮さが無く、むしろ思い出を呼び起こしホーム観さえある。
懐かしい!・・・とは言っても半年前だ。
タクシーで工業団地に。ここは案内するのに一苦労だ。そして、今回も敷地内で迷子になったがなんとか入口についたぞ!
呼び鈴を押すが出ない・・・。
入口で待つこと10分、従業員が出て来た。
会ったことはないようだ、しかも英語が通じない。
ようやく事務員のアニーに電話をしてくれて用件がつながった。
アニーとも久々に話すが最初に会って以来ずっと顔は見てない。女性なだけに会いたいなあ。
肝心の工場オーナーは来ず・・・ヒマなんで工場据え付けの工具など眺めていると「見るな」と言われる始末。
なんなんだよコイツ。
やがてやって来たのがウラジミール、彼は私のことを知っているのですぐに用件が伺えた。
オーナーは多忙で来れないだろうからホテルまで送るから荷物を載せろと言う。あれさっきアニーと話して30分くらいで戻ると言われたぞ。
一応アポイントを取ってもこんなドタバタだ。
暫くしてオーナーのダニエルが来た。
用件は知ってると思ったがあえてTOY48について話した。
手元の1台、テストするが上手くないようだ。
そこに出来上がったばかりの3台を持ってきたが、これも上手くない・
「いつ帰る?」
と言うので明日、モスクワに戻ると言うと、明日までになんとかする。
ウラジミールも明日モスクワに行く予定で偶然フライトも同じ。ホテルまで明日の朝迎えに来てくれて、一旦工場に行き、その足で空港へと送ってくれる段取りとなった。
「それにしても、大金かけてなぜ来るんだ?」
と言われたが、もちろん来る理由はある。用件はメールで伝わるが人間味はネットでは伝わらない。
商売は人と人・・・欧州人には無いのかもしれないが、日本人にはあるし私はそれをサラリーマン時代に叩き込まれた。
その後、工場スタッフにホテルまで送ってもらったがまた英語の通じない人。
セルディカまでで良いと言ったが、トラムなんて危険な物乗るなと言われ一旦ホテルに。
ソフィアの中心部から少し離れてトラムでも終点駅なのだが、私は結構気に入ってるホテル。
チェックインした後に結局セルディカまでトラムで出てみた。
暗くなっても相変らずの賑わいで、なんか益々のホーム観。
お土産屋の女の子も会うのは3回目。今日は忙しそうだったけど今度はお茶でもしたいなあ。。。